18歳世代1000人と、アーティストが作り上げるステージ『18祭』。
第6回目はBUMP OF CHICKENと1000人のパフォーマンスだった。
その中で披露された楽曲が『窓の中から』。
18祭のために作られた楽曲だ。
音源もリリースされ、MVもライブ映像もアップされている。
私は幸運なことにライブでも聴くことができた。
これがまた、とんでもない…
今のBUMPの魅力を全て詰め込んだかのような楽曲になっている。
小さな「窓」
閉ざされた心の中では何が起こっているかわからない。
すごく楽しいパーティーがおこなわれているかもしれないし、一人黙々と本を読んでいるかもしれないし、少し悲しい気持ちになっているかもしれない。
でも、そんな心には小さな「窓」がある。
決して閉ざされてはおらず、その小さな窓を通して世界と繋がることができる。小さな窓から音を繋ぎ、声を重ね、『窓の中から』は完成する。
自分が苦しいとき、辛いとき、支えてくれる人なんてそうそういないのはよくある話。でも、近くにいる人なら存在する。小さな窓越しだけども、そこには確かな意志を持った人がいる。
近いようで微妙に離れている、そんな人間たちの間を埋めてくれるような曲になっていると感じている。
現「18歳」だけではない
18祭のために作られた楽曲であるという特性から、その世代に向けて作られたのか、というと、決してそうではない。
これから18歳を迎える人にも、かつて18歳だった人にも響いてくる歌だ。
実際に私はかつて18歳だった人にあたるが、これほどまでに自分も一緒に歌いたい、と思った曲は初めてである。実際に『窓の中から』を奏でる一員でありたいと感じた。
実際にライブで聴いていて、一つの曲を真ん中にして声を重ねることが楽しく、美しく、心を動かされた。あの時間は本当に何にも変え難かった。
声を重ねることに対する喜びを感じたのは、きっと私だけではない。会場にいた多くの人がそう思ったことだろう。
18祭を超えて、全ての人に届く、そして全ての人から届けられる。そんな不思議な双方向性をもつ、とんでもない楽曲である。
そして、間違いなく私たちに”居場所”を与えてくれる、そんな曲でもあると思う。
おひとり様 vs 複数人
やや話題は飛ぶが、おひとり様がいいか、誰かと一緒がいいか、これは永遠の議論ネタだろう。
当の私はおひとり様が大好きなので、どこに行くにもだいたいおひとり様で行動している。特に理由はないのだが、一度おひとり様の自由度に慣れてしまうと、複数人行動が時に窮屈に感じるときがある。
音楽の世界にもそれは存在すると思っていて、
一人で自らの音楽を奏でる、複数人で声を重ねて音楽を奏でる、という2パターンあると考えている。どちらも尊いことであるのは間違いなく、どちらを批判するつもりもない。
ただ、一人の人間が作った曲を二人で、数十人で、はたまた数千人で一緒に歌うことの喜びは計り知れないと思う。
自分の作った曲でなくとも、一人で歌うのと誰かと声を重ねるのとでは、それぞれ違う楽しみや気づきがある。
どちらの良さも享受しながら音楽を楽しめたら、それはもう素晴らしい人生になるだろう。
家で一人で聴く『窓の中から』とライブできく『窓の中から』。楽曲にもそれぞれの居場所があり、それを聴いている人にもそれぞれの居場所がある。
時には自分の横を歩いている、時にはその楽曲を構成する一員となる。
そんな”居場所”を、これからも私たちに作ってくれるだろう。
ちなみに…
この曲、メロディーが非常に難しい。
歌ってみるとわかるが、本当に難しい。
…数千人で声を重ねるのが一番いいのかもしれない。。。