栢本てのさんの歌を聴いていて思うこと。
随所に見られる、粋な言葉選び
『藍』のあるフレーズ。
「よすがの海に抱かれて」
なぜ…なぜこんな美しい言葉を使えるのか。。
『深層』のあるフレーズ。
2番で「有終の美」となっている箇所。
1番では「悠久の時」となっている。
「ゆうきゅう」は「有休」ではなく「悠久」であるべきだよなあ。
『泡沫のまち』
「ほうまつ」ではない。「うたかた」だ。
「はかなく消えやすいもののたとえ。」(大辞泉より)
言葉遣いにみる”非日常感”
先に挙げたように、栢本さんは歌詞の随所に文学的な言葉を散りばめている。(と私が勝手に思っているだけかもしれないが…)
個人的に、この言葉の選び方が栢本さんの楽曲の”非日常感”を高めているように感じる。
栢本さんのnoteには楽曲のライナーノーツがいくつかアップされている。
全部に共通していると感じるのは、楽曲に対して彼女の中に明確な「物語」が存在することだ。
物語や小説はフィクションの世界で語られることが多い。読者はその世界に入り込み、心動かされていく、という構図だと思う。
となると小説側としては、読者を現実世界に戻してはいけないのである。
現実世界に戻さないためにはどうするか。
“非日常感”の創出が一つの答えだと思う。
もちろん、あまりにも現実離れした話は受け入れられ難い。読者にだって日常ってもんがあるわけで。
ただ、物語の世界として現実と線引きをするためには、ちょうどいい”非日常感”は欠かせないのである。
その言葉の引き出しはいずこに…
とまあ、非日常感について書いてみたが、そもそもの話が解決していない。
栢本さんの言葉の引き出しはどこにあるのか。
無論、答えは本人しかわからない。
(じゃあ書くなよ、って話だが…)
本をよく読む、とどこかでうかがったor耳にした記憶があるので、きっとそれは一因だと思う。私のまわりにいる人でも、本をよく読む人と会話していると語彙数の多さを感じることが多い。
音楽に限らず、自分でモノを創り出すためには、まず創り出されたモノにたくさん触れることが重要なのかもしれない。
最後に
栢本さんの楽曲にはどことなく非日常感があり、現実と少し距離をおいて伝わってくる感じがとても心地いい。
私は現実世界と音楽の世界に線引きをしたいタイプなので(どこかで書いた気もするが)、「限りなく近くにいるのに別世界」な音楽をずっと探していた。
今のところの答えはBUMPと栢本てのさん。
今後もまた見つかるといいなあ、と思う今日この頃である。